ひろみち日記詳細
中国事情調査団報告F
20日紹興市内紡績市場視察研修後、午後は、魯迅故居、周恩来故故居を視察しました。
魯迅は日本の東北医学専門学校「現・東北大学医学部」に故国の人々を医学で救うべく留学をしました。その間、日露戦争について、授業中に戦争報道のニュースを見る機会がありました。
それは、ロシア軍スパイの中国人が日本人によって、処刑されさらに同胞である中国人が処刑される様を喝采してみる姿でした。その情景と日本人の反応を見て、中国人を救うのは医学による治療ではなく文学による精神の改造だと考えたそうです。
仙台医学専門学校を退学し東京に暮らしました。
当時の故国・中国の社会を絶対にくずせない鉄部屋に人々をそこで熟睡したまま窒息して逝く人々に例えば、かなわぬ望みを抱かせる小説を書かないほうがいいのでは と、文筆は滞っていましたが、友人から「鉄部屋その中で起きた者が数人でもあるなら、その鉄部屋をこわす希望が絶対ないと言い切れない。」と言われ、魯迅は最初の小説「狂人日記」を書きました。帰国後、杭州、紹興など経て北京に転居。文筆活動を本格化しました。当時、中国の伝統的文学感では小説は歴史や詩文より一段低いと見なされていましたが、小説の断片を集めるなど基礎研究作業を進め、神話伝説から清末までの中国最初の小説史を完成させました。
今日でもこの分野を語る必読書になっています。魯迅の作品にみられる特徴のひとつとして、英語の文法をなぞっていました。欧米後は文法が精微なので、思考も理性的と考えていたのです。
また表題「阿Q正伝」は、すでに体制が変わった以前の国家(共和制)への批判、希望です。時代、政治体制を超えて現代なお人類に共通の問題を訴えています。
作品「故郷」では。自分が成長したふるさとへの思いと現実、絶望と希望。「阿Q正伝」では、無分別の典型を通して人生のはかなさを訴えています。方丈記しに通じるものがあります。
文豪魯迅から、いつの時代にも通じる指針を、研究するいい機会になりました。
update : 2010-08-23 22:35:34
by : 中野ひろみち後援会事務所